わたしは約12年間社交不安障害(主な症状として視線恐怖症)に悩まされていました。
当時は毎日が辛くて仕方がありませんでした。
人に怯え、社会に溶け込めない自分をみじめに感じていました。
何をしてもがんじがらめで症状から抜け出せず、「わたしは一生この病気を抱えていかなくてはいけないの?」と先の見えない恐怖と不安に押しつぶされそうでした。
ですが30歳をすぎた頃、わたしは社交不安障害を克服しました。
この記事では社交不安障害の克服までの道のりをお話していきます。
同じ社交不安障害で悩んでいる方の参考になれば嬉しいです。
まずは自己紹介をさせてください。
性別:女
年齢:32歳
現在:保育士として働いています
性格:HSP(HSS型の気質もあり)で内向型、ひとり反省会が多い、自分の発言や行動をいつも気にしてしまう、心配性
自己紹介の性格の欄で記載したHSPまたはHSS型HSPについてですが、これは人間の気質をさしたものです。
わたしの場合この気質の発見も克服につながる大きなきっかけとなっています。
HSP/HSS型HSPについて詳しく知りたい方は下の記事をご覧ください。
ではここから詳しく社交不安障害の克服までの道のりをお話していきます。
目次
いつ発症した?
診断を受けたのは28歳くらいの頃です。
人や視線が怖いといった症状が顕著に気になりだしたのは、社会的なつながりが一気に増えた大学生(19歳くらい)からでした。
しかしなかなか心療内科に足を踏み込む勇気がもてず、28歳にまるまでは自力で治す方法を調べては試して・・を繰り返していました。
どんな症状が辛かった?
わたしの主な症状は「人が怖い」「人の視線が怖い」というものでした。
その中で特に悩んだ症状をピックアップしてみました。
視線が怖い
視線恐怖症の症状が強くでていたわたしは、仕事やプラーベートにおいても人々の視線が気になり、日常生活に支障をきたしていました。
あの人はわたしのことを変な目で見てる
みんなでわたしの悪口を言ってこっちをみている
わたしのことを見ながらわたしのマイナス面を全部読み取っているんだ
などと相手の思考を深読みしすぎて、相手のことが怖くなってしまっていました。
そんなはずないとわかっていても、頭の中が恐怖で支配されてしまって、正常な判断というものが取れなくなっていました。
仕事が続かない
人が怖い、人の視線が怖いという恐怖に支配されていた私は、4度仕事を辞めた経験があります。
若かった頃はすぐに仕事をやめる勇気もなく、症状に苦しみながらも
・大学生時代に働いていた居酒屋‥‥4年
・新卒で入社した保育園‥‥4年
と長期で働いていました。
新卒で入社した保育園で働いていたときに、
これ以上働けない。無理だ。
と思い、社交不安障害が原因で退職しました。
過去を振り返ると、当時は本当に無理をしていたなあと思います。
その後務めた
・旅館の仲居
・ホテルのウエイトレス
・保育園
は1年ほどで症状で耐えられなくなり辞めました。
友だちと会うのが辛い
人と関わることへの恐怖、視線の恐怖は友だちに対しても感じていました。
友だちと会って楽しんでいたとしても、ふと何か小さな恐怖を感じたら、そこから大きな恐怖に変わっていきました。
友だちの視線が怖い
恐怖で会話がままならない。どうしよう
友だちに変に思われたくなくて、最後まで恐怖と戦いながら友だちと過ごしていたことが多かったです。
取り残される恐怖
恐怖に支配されると時間がストップしたように感じます。
自分だけ社会から取り残されて周りの人は人生を謳歌している
そんな見え方になってしまっていました。
例えばこのような人々をみると、劣等感や孤独感が大きくなっていきました。
・友だちとワイワイしている人々
・様々なことに積極的にチャレンジしている人々
・仕事にやりがいを持って頑張っている人々
・いつも前向きな発言している人々
・怖いものが何もない生活を送っている人々
このような人々の姿をみて、私はどんどんおいていかれているように感じてしまいました。
生きていて意味あるのかな・・
なんで私だけこんな状態で生まれてきたのだろう
人生を無駄にして生きているようにも思えて、マイナスなことばかりを考えていました。
その他、悩むこと
社交不安障害や視線恐怖症との症状とは別に私には様々な悩みがありました。
その悩みをまとめてみました。
顔が引きつる
これはカウンセリングを受けた際にもカウンセラーさんに度々相談した内容です。
顔のひきつりは人との関わりの中で、よく起こりました。
引きつっている時の心理はイライラしている時が多いです。
イライラは人に話しかけられたり、残業の中、わいわい楽しく仕事をしている同僚を見たりした時に感じていました。
顔が引きつる原因がわからず、また些細なことでイライラしてしまう自分が嫌で仕方がありませんでした。
今では顔のひきつりも、感じてしまうイライラも自分の気質や自然に沸き起こる感情からくるごく自然なものであると受け止められるようになりました。
強迫観念・強迫行動
わたしは心配性なところがあり、外出の際には
家の鍵しめたかな?
電気ちゃんと消したかな?
ガスの元栓、ちゃんと閉めたっけ?
そんな不安がよぎるようになりました。
その不安は大きくなっていき、何度も確認したり、わざわざ家に戻ってチェックしたりするようになりました。
病院で診断されたわけではないですが、わたしの行動は強迫観念・強迫行動の一つだったと考えられます。
下の記事にその行為を乗り越えた方法がまとめられています。
https://www.annkomochi.com/kyohaku/眠れない
この時期は精神的にも体力的にもクタクタのはずなのに、なかなか寝付けないという悩みを抱えていました。
どうしよう・・。時間ばかりが過ぎていく。
外が明るくなってきた。早く寝なきゃ!
こんな寝不足だと明日の仕事に支障をきたしちゃう。焦る!
布団に入るとこのように眠れないことへの不安や緊張が増して、より眠れないのです。
下の記事にその辛い時期を乗り越えた方法がまとめられています。
克服に向けた取り組みは?
症状に悩むようになり、私は様々な治療法や自己肯定感の高める方法を試しました。
・自己を肯定する言葉を脳内で繰り返し言う
・自分に当てはまる内容の心理や自己肯定に関する本を読む
・直感でいいと感じたカウンセリングを受けてみる
・心理カウンセラーの学校に通うことを検討する
などです。
試してその直後は効果あっても、すぐに逆戻りという経験が多く続きました。
克服への希望の光だったものが失敗に終わり、「もう治らないんじゃないか」という絶望感もたくさん感じました。
https://www.annkomochi.com/sisenkyofu-taiken/
克服のきっかけとなったものは?
しかしある時、私は克服に繋がる2つのものと出会いました。
それが森田療法とHSPという言葉です。
では2つの出会いを掘り下げてみていきたいと思います。
森田療法
当時、自分が気になっていた症状についてネットで調べていたときに、「森田療法」という存在を知りました。
森田療法について知ったとき、これまでにない「治るかも!」という直感を感じました。
書いてあることが、自分に当てはまっていることが多くとても驚いたことを覚えています。
「森田療法を信じてやってみたい」と思う反面、情報の中には
・森田療法 怪しい
・森田療法 治らない
・森田療法 宗教
というものが出てきて、警戒心が高いわたしにとって先に進むのには勇気がいりました。
とりあえず、本を読んでみるか・・
と森田療法について勉強を始めました。
その中で、不安障害になるメカニズムや感情の法則などについての理解を深めていき、自分の中で「私の社交不安障害や視線恐怖症はきっと治る」と初めて克服に対する確信がもてるようになりました。
森田療法がかかげる
・ありのまま
・恐怖突入
・やるべきことに手を出す
これらを仕事やプライベートの中で実践する日々。
その積み重ねの毎日で、自分がじゃま者扱いしていた不安や恐怖は自然な感情であることを理解できるようになりました。
HSP
その後わたしはHSPという言葉に出会いました。
HSPは人の機嫌を伺いやすい、気疲れしやすいと言った人的な悩みだけでなく、
・音や匂いなどの五感に対する刺激に敏感
・涙もろい
・マルチタスクが苦手
といった、外からの刺激に対して反応が強いことがあげられています。
昔から外からの刺激に対してのストレスは感じていたので、これらの特徴をみた時に、
自分はHSPだったんだ
と自覚しました。
わたしは森田療法を学習・実践を繰り返し、自分がHSPと自覚していく中で自分が患っていた社交不安障害・視線恐怖症を克服していきました。
再発はある?
ないと思います。
でも不安障害になりやすい、繊細さ、神経質な気質を元々備えもっているので無理は禁物です。
ストレスのあまりかからない生き方を選択していく必要があります。
自分を追い詰めてしまう考え方を見直して、自分にあった環境を整えていくことが大切です。
まとめ
今回はわたしが社交不安障害を発症し、克服に至るまでの経緯をまとめました。
不安障害は本当に苦しいです。
ちゃんとした向き合い方がわからなければ、恐怖や不安の感情に支配され身動きが取れない状態になってしまいます。
ひとりでも多くの方が不安障害を乗り越えられますよに・・
そんな想いを込めて、わたしは不安障害やHSPに関する情報の発信を続けていきたいと思います。
ではこの辺で終わります。お読みただきありがとうございました。