怖くて怖くて体が動かない・・・。もう、仕事やめよう。
上司に神経症のことを正直に伝えよう。伝えるのが怖いな・・・
HSP保育士の「あん」です。
現役の保育士で、保育士歴7年目となります。
わたしは約12年、神経症(社交不安障害・視線恐怖症)と戦ってきました。
現在は克服していて、HSP気質をもつ自分とうまく付き合いながら生きています。
過去にその神経症が原因で4度の転職をしました。
そのうち、自分の病気ことを伝えて退職したのは3回です。
今回は病気をカミングアウトし、退職を伝えた時の上司の反応をお伝えしたいと思います。
なぜ、上司に神経症であることを話そうと思ったのか
当時のわたしはストレスで顔のひきつり、職場の人全員に恐怖を感じていました。
→顔のひきつりに関しての詳細記事はこちら
しかし病気のことを悟られまいと、明るい自分を装っていました。わたしが神経症であるなんて誰も思わなかったと思います。
承認欲求が強いわたしは、保育園の行事では目立った役を引き受けたり、頑張っている姿を上司などに見てもらおうと必死でした。
飲食のサービス業でも働いたことがあるのですが、新人さんの指導役を名乗りでたり、責任感のある姿を示したりしていました。
症状真っ只中だった時は「なんでわたしだけこんな辛い目に合わなければいけないんだ・・。」という思いがありました。
退職するときに神経症のことを話したのは、「辛い気持ちをわかってほしい」という気持ちがどこかにあったのだと思います。
またもう一つの理由として、正直にいうことで人を信頼できるようになって神経症が治るんじゃないかという思いがありました。
どちらかというと計画的ではなく、感情的に話したことの方が多かったと思います。
神経症であることは話すべきか
病院に通院していてお医者さんと相談して決めたり、指示があったりする場合を除いてのお話をします。
この記事の内容は、わたしのような不安障害を抱えた方に対して、正直に病気のことを伝えて退職するように進めているものではありません。
病気のことを正直に言うべきか言わないべきかは、その人の置かれた状況によるかと思います。心身ともにボロボロで途中で退職を希望する場合は正直に話すことが良い場合もあります。
上司も人間です。
心が小さい人もいれば、寛大な人もいます。病気に対して無関心な人もいれば、理解しようと歩み寄ってくれる人もいます。
病気のことを馬鹿にしたり、傷つくような態度を取るような上司に対しては、病気のことはあえて伝えずに退職したほうがいいかもしれません。
→威圧的な上司にお困りの方はコチラの記事がおすすめです。
また、わたしのように同情を求めて話した場合、理解してもらえない時に、切なさや悔しさが残ります。
でも理解してもらうってとても難しいことです。
神経症になった当事者じゃないと、本当の苦しみや心の状態って分からないものです。
また人は全く知らないことを受け入れることに自然と抵抗をもってしまうものです。そのため、自分が想像していたような理解が得られず落胆してしまうこともあるかもしれません。
なので、「理解してほしい」「わかってほしい」という気持ちで話すことはあまりおすすめしません。
もし退職を考えている方がいたら、わたしの体験談が少しでも参考になれば嬉しく思います。
退職を伝えた時の上司の反応
ではこれから、わたしが実際に上司に話した時の3つのエピソードをお話していきます。
上司① 女将さん
わたしは旅館で仲居として働いていたことがあります。主な仕事内容は泊まりにきたお役さんの部屋に夕食を運び、提供することです。
食事や仲居さんとの関わりはお客さんにとっては思い出の一つとなります。わたしは「楽しませなきゃいけない」「満足させなくてはいけない」というプレッシャーを感じてしまっていました。
またわたしの職場は怖い年上の仲居さんが多く、仲居さん同士でギズギスしていることもあったため、人間関係でもストレスを受けていました。
→人に怒られることが怖いとお悩みの方はコチラの記事がおすすめです。
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そのようなプレッシャーやストレスが原因で、わたしは社交不安障害・視線恐怖症が悪化してしまいました。
お客さんや同僚のことが怖くなり、頭が真っ白になって、仕事をうまく回すことができなくなってしまいました。
そしてわたしは退職(満期)を決意しました。上司に退職を伝えるとき、初めて自分の神経症の話をしました。その時の上司(女将さん)の反応は・・
「考えすぎ!もっとポジティブに考えましょ!そんな考えてたら疲れちゃうよ。」
でした。わたしは「全く伝わっていない・・」「このつらさはそんな軽いものじゃない」と思いました。
仲居は入れ替わりの多い職業です。
当時、辞めてしまう人が多かったため女将さんは人数を確保するためにわたしをくい止めようとしていました。
しかし、その時のわたしの精神状態では仕事を続けることはできなかったので、「すみません。辞めたいです」の一点張りで退職に進むことができました。
上司② マネージャー
旅館の次はホテルで働きました。
生きていくためには働かなくてはいけなかったので、神経症の治療を並行させながら働きました。
主な仕事内容は、ビュッフェで接客や配膳をすることとコースディナーで食事をされるお客様に食事提供をすることです。
当時のわたしは「人から認められたい」「完璧に仕事をこなしたい」という思いが強かったので、張り切っていました。
すると自分のミスに対して深く反省するようになり、焦って空回りをするようになってしまいました。
その結果、人の視線が気になるようになってしまい、恐怖で体が思うように動かなくなりました。
この当時、住み込みで借りていた寮がボロボロで虫の侵入が多く外気の影響を受けやすい状態でした。体を休める環境も整っておらず、精神面はより不安定になっていきました。
→体を休めるために住まいの環境は超重要。もっと詳しく知りたい方はコチラ。
「もう無理だ・・。今日の仕事が終わったら、マネージャーに話そう。」と心に決め、その日マネージャーに退職させてほしいとお願いしました。
マネージャーは本当にいい人です。いつもニコニコしていて、みんなに優しく声をかけてくれます。
そんなマネージャーだからこそ、わたしはきちんと話そうと思いました。
退職(途中退職)を伝えたときのマネージャーの反応は・・
考えすぎじゃない?今はきっと気持ちが落ちてるから何もかも悪い方向に考えちゃってるんだよ。2〜3日休みあげるからゆっくりしたら?
でした。
社交不安障害や視線恐怖症は少し休んだら治るものではありません。
ここでもわかってもらえない切なさを感じてしまいましたが、気持ちをきちんと伝えて辞めさせてもらうことができました。
ちなみに、他の上司はわたしが辞めたことをとても怒っていたようです。
上司③ 園長先生
生きていくために選んだ次の職業は保育士でした。
保育士は新卒で働いた職業で、その時も神経症の症状が原因で辞めました。
当時は保育士の仕事に戻ることは考えていませんでした。
しかし資格のある保育士以外に就職のあてがなかったので、戻るという選択をしました。
正職は自身がなかったので、派遣社員として働くことにしました。
勤務初日。
ザワザワとした不安がありました。
不安はどんどん大きくなり、人に見られているという恐怖を感じてしまいました。
恐怖で頭が真っ白になるという症状が初日から出てしまいました。
その時のわたしは
もう終わった。このループからは抜け出せない。きっと症状はもっと悪化すると思う。迷惑がかかるから、辞めよう。
と、思いました。クラスの先生に簡単に事情を説明し、更衣室で少し休ませてもらいました。
わたしは園長先生になんて言って辞めようか考えていました。
すると副園長先生が来て、誰もいない部屋に呼ばれました。そこに園長先生もきました。
全部話してごらん。わたしカウンセリングの資格もあるんだ。
わたしは安心して全てを話しました。すると、
先生、ここを治療の場所だと思ってゆっくり治していこう。病院行く日は休んでもいいし。ここの先生たちはみんな優しいから支えてくれるよ。
わたしは園長先生の優しい言葉にボロボロと涙が溢れてきました。
園長先生のいうとおり、わたしはカウンセリングの日は休ませてもらったり早退させてもらったりしました。
職員の皆さんにもあらかじめわたしの事情を話してくださり、神経症を隠すことなく働くことができました。
理解のある園長先生に出会えて本当によかったと思っています。
しかし、この保育園は心温まるお話だけでは終わりません笑
とんでもないブラック園だったのです。
ただ、やはり「感謝の気持ち」はあります。
もしあの時、初日で辞めてしまっていたら、わたしの人生は大きく変わっていたのですから。
さいごに
今回は社交不安障害・視線恐怖症で仕事が続けられなくなった際に、退職を伝えたときの上司の反応について書きました。
上司の人柄や伝え方によって、上司の反応は様々だと思います。
途中でもお話した通り、この記事の内容は、わたしのような不安障害を抱えた方に対して、正直に病気のことを伝えて退職するように進めているものではありません。
ひとりの体験談として参考になれば嬉しく思います。
最後にオススメの記事をご紹介します。
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今日はこの辺で終わります。お読みいただき、ありがとうございました。